みなさんこんにちは!ほのかです!
前回は、私がいちばん尊敬している人、お母さんについて書きました。
今回は前回のブログを振り返りながら書いていこうと思います。
大学に入るまでは、お母さんの言うことが絶対だと思っていた私。
そんな私が、初めて自分の意思を曲げられず、大好きなお母さんと何度もぶつかるようになりました。

大学1年生の頃、必修英語の授業を担当していた梅原先生に誘っていただいたことがきっかけで、
NPO法人HONKI Universityの活動に参加するようになりました。
それまで、何かに夢中になったり、心からやりがいを感じたりした経験がほとんどなかった私。
そんな私が初めて、
「これ、楽しいかも!」
「これ、やりたい!」
と思えた活動でした。
友達と遊ぶことよりも、買い物に行くことよりも、アルバイトをすることよりも、HONKIの活動をしたい。
そう思うくらい、私は夢中になっていきました。
HONKIの活動には、もちろん一つひとつに意味があります。
でも、私が得たものは、それだけではありませんでした。
人と関わること。
本当の優しさ。
やりがい。
楽しさ。
頑張ること。
感情と向き合うこと。
自分で決断すること。
勇気や度胸。
仲間の大切さ。
何かを達成する喜び。
苦手なことに打ち勝つ強さ。
幸せとは何か。
大人とは何か。
数えきれないほどのことを、HONKIを通して教えてもらいました。
私にとって、HONKIはただの活動ではなく、自分の知らなかった世界に出会える場所になっていきました。
一方で、私がHONKIにコミットすればするほど、お母さんの心配は大きくなっていきました。
それも、今ならよく分かります。
お母さんたちはタイのバンコクに住んでいて、私は日本で暮らしています。
普段、私がどんな生活をしているのか、どれくらい忙しいのか、どんな人たちと何をしているのか。
近くにいれば分かることも、離れて暮らしていると、なかなか見えません。
そんな中で、今まで特に何かに夢中になっていたわけでもない娘が、急に一つの活動にものすごく熱中し始めたら。
「え? 大丈夫なの?」
と心配になるのも、当然だったと思います。
実際、私は家事と勉強とHONKIの活動を両立することに苦戦していました。
帰宅したあと、まるで気絶したかのように、そのままバタンと寝てしまうこともありました。
そんな私の様子を知ったお母さんは、さらに心配したのだと思います。
でも、当時の私は、初めて見つけた「やりたいこと」を簡単には手放せませんでした。
HONKIの活動を始めてから、お母さんと電話をするたびに、言い合いになることが増えていきました。
いったい何百回、電話で喧嘩をしたのでしょう。
大学に入る前まで、お母さんの言うことは絶対だと思っていた私。
反抗期らしい反抗期もなく、母に逆らうこともほとんどありませんでした。
そんな私が、初めて自分の意思を曲げず、お母さんとぶつかるようになったのです。
「やっぱり、やめたほうがいいのかな」
そう思うことも、何度もありました。
HONKIの活動を続けるのか、それともやめるのか。
本当に迷いました。
お母さんの言うことにも、理由がある。
私のことを心配してくれているのも分かる。
大学生活もあるし、勉強も家事もある。体を壊すほど頑張る必要があるのか、と言われたら、
私自身も考えなければいけないことはありました。
それに、私はまだ19歳です。
大学に通えていること。
寝る場所があること。
安心して帰ってこられる場所があること。
ご飯を食べられること。
そのすべてが、当たり前ではありません。
親が支えてくれているからこそ、私は自分のやりたいことに挑戦できています。
そのことを忘れていたわけではありません。
それでも。
「やめたほうがいいのかもしれない。でも、私はやりたい」
最後には、どうしてもそう思ってしまうのです。

せっかく、自分が夢中になれるものを見つけたのに。
せっかく、やりがいを感じられるものに出会えたのに。
大学に入る前、お母さんは私にこう言ってくれました。
「大学4年間という時間があるんだから、その中で自分のやりたいことを見つける時間だから、探してみな」
だからこそ、私は不思議でした。
自分のやりたいことを見つけてみな、と言ってくれた。
でも、いざ本当に見つかったら、どうしてやめることを考えなければいけないんだろう。
どうして、やっと見つけたやりがいを諦めなければいけないんだろう。
私には、分からないことがたくさんありました。
そして何より、悲しかった。
私がいちばん応援してほしいと思っていたお母さんから、心の底から応援してもらえていないように感じたことが。
高校生の頃も、大学に入ってからも、周りでこんな話を聞くことがありました。
「親に反対される」
「親がダメって言う」
「親が子どもの挑戦を奪っている」
私は、そういう話を聞く側でした。
まさか自分が、親に反対されながら、それでもやりたいことを続けたいと思う側になるなんて、想像もしていませんでした。
お母さんは、いつだって私のことを考えてくれる人。
私のことを応援してくれる人。
そう思っていたからこそ、この状況をどう受け止めればいいのか分かりませんでした。
そして、2026年の夏。
そんな言い合いが続いていた頃、2026年の夏がやってきました。
この夏は、私にとって忘れられない時間になりました。
兄には、5歳の頃から大学卒業まで続けてきたテニスがありました。
そして、大学での最後のテニスのリーグ戦。この試合を終えたら、兄のテニス人生に一区切りがつきます。
その最後の試合を応援するために、両親が日本に来ることになりました。
久しぶりに、家族5人で過ごせる時間です。
夏休み中、私は何をしていたかというと、
辻の盆。
セブ。
利尻島。
自分が行きたい場所へ行き、やりたいことに挑戦していました。
ありがたいことに、私は自分の好きなことをたくさん経験させてもらっていました。
そんな中で、両親が日本に来ることになったのです。
久しぶりに家族5人で過ごせる。
お調子者の父と、それによく似た弟。
そんな2人を見て笑う母と兄と私。
みんなで話したり、一緒にどこかへ出かけたり。
私は、そういう時間も大好きです。
家族と過ごす時間が嫌だったわけではありません。
むしろ、とても幸せな時間です。
それでも私は、利尻島に行きたいと思っていました。
そして、私は利尻島へ行くことを選びました。
後悔するなら、自分が決めた選択で後悔したい。
私には、大切にしているモットーがあります。
それは、
「後悔しない日々を歩む」
ということです。
もちろん、すべての選択が正解になるとは思っていません。
選んだ道が間違っていたと思うことも、きっとあると思います。
それでも私は、後悔するなら、自分で決めた選択で後悔したい。
誰かに決められた選択をして、うまくいかなかったときに、その人を憎むようなことはしたくありません。
自分が間違えたと思うなら、自分の選択と向き合いたい。
自分の人生を、誰かに委ねたくない。
そんな思いがありました。
だから私は、利尻島に行くことを決めました。
もちろん、その選択によって、家族と過ごす時間が減ることも分かっていました。
そして、案の定、お母さんからこんな話をされました。
「せっかく両親が来て、家族で一緒に過ごせるのに・・・例えば、私たちが日本にいる間に、家族みんなで50回ご飯を食べられるとしたら、ほのかは、そのうち何回参加できた?」
そう聞かれました。
正直に言うと、私にとっては、とても苦しい質問でした。
実際に家族とご飯を食べた回数は、片手で数えられるくらいだったからです。
数字だけを見れば、私は家族との時間をほとんど選ばなかったことになります。
お母さんがそう感じるのも、無理はなかったと思います。
せっかく久しぶりに会えたのに。
せっかく家族5人で過ごせるのに。
一緒に過ごせる時間を、もっと大切にしてほしい。
そう思っていたのかもしれません。
それでも、私は自分の選択を後悔していませんでした。

利尻に行けて心から良かったと思っています。
自分で考えて、自分で決めたことだったからです。
もし、誰かに選択を委ねて、その結果を後悔することになったら。
自分はどれだけ後悔するのだろう。
どれだけ嫌な気持ちになるのだろう。
それは、私にも想像がつきません。
だからこそ、私は自分の人生を自分で選びたいと思っています。
ただ、自分の選択を大切にすることと、その選択によって周りの人がどんな気持ちになるのかを考えること。
この2つは、きっと別々に考えられるものではないのだと思います。
当時の私は、自分のやりたいことを選ぶことに必死でした。
でも、その選択を受け止めるお母さんにも、お母さんなりの思いがあったはずです。
お互いに譲れないものがあったからこそ、私たちは電話越しではなく、直接ぶつかることになりました。
本当に、精神的に負担の大きい数日間だったと思います。
私にとっても、お母さんにとっても。
いちばん避けたかった展開。
そんなある日。
また言い合いをしてしまい・・・
「HONKIの活動を見に行く。そこで先生やメンバーの方たちとお話をさせて」
……。
ついに来てしまった。
私は、正直そう思いました。
実は、私はこの展開をいちばん避けていました。
なぜなら、いつお母さんの口から、
「辞めさせます」と言われるか分からなかったからです。
もし、そう言われてしまったら。
私はどうなってしまうのだろう。
そんなことばかり考えていました。
もちろん、お母さんが実際に何を言うつもりだったのか、そのときの私には分かりません。
でも、当時の私は、それくらい追い詰められた気持ちになっていました。
HONKIの活動を続けたい。
でも、お母さんとの関係も大切にしたい。
どちらかを簡単に手放すことなんてできませんでした。
とはいえ、お母さんの申し出を断るわけにもいきません。
私は、恐る恐る梅原先生に相談しました。
そして翌日。
HONKIのメンバーで、Tシャツ作りをする企画がありました。
そこに、お母さんも見学に来ることになったのです。
お母さんは、少し遅れて参加する予定でした。
そのため、私はお母さんが来るまで、みんなと一緒にTシャツ作りをしていました。
……と言いたいところですが。
もう、全然それどころではありませんでした。
いつ来るんだろう。
何を話すんだろう。
どんなことになるんだろう。
頭の中は、そのことでいっぱい。
Tシャツ作りどころではなく、ものすごくソワソワしていました。
私がどんな場所で、どんなふうに過ごしているのか。
その日は、Tシャツ作りだけでなく、セブの報告会と利尻島の報告会もありました。
普段、私がHONKIでどんな活動をしているのか。
セブで何を経験してきたのか。
利尻島でどんな時間を過ごしたのか。
お母さんには、私が伝えきれていなかったこともたくさんあったと思います。
だからこそ、この日は、私の活動を実際に見てもらえる機会でもありました。
お母さんが来てからは、もちろん緊張していました。
でも、いつもお世話になっているHONKIのメンバーのみんなと話している姿を見てもらえたこと。
私が笑って、メンバーと話している姿を見てもらえたこと。
それだけでも、
「ああ、よかったな」
と思いました。

私がどんな人たちと関わっているのか。

どんな場所で、どんな表情をしているのか。
言葉だけでは伝えきれなかったことも、少しは伝わったのかもしれません。
そして、その後。
お母さんと話をする時間が設けられました。
最初は、少人数で話すことになるのかなと思っていました。
でも、実際には5人ものHONKIメンバーの皆さんが話し合いに参加してくださることになりました。
私としては、本当に頭が上がりませんでした。
いつも一緒に活動している仲間たちが、私とお母さんのために時間をつくってくれたのです。
今でも、本当にありがたかったと思っています。
話し合いが始まると、私はポロポロと涙が出てきました。
それまで、お母さんと話をするときは、いつも怒りが爆発してしまっていました。
本当は強く当たりたくない。
お母さんを傷つけたいわけでもない。
でも、どうしても自分の気持ちを分かってほしくて、うまく言葉にできず、強く当たってしまう。
そんなことが何度もありました。
でも、この日は違いました。
HONKIのメンバーがいるこの場所なら、素直に話せる。
肩の荷を下ろして、自分の気持ちを伝えられる。
そう感じていました。
だから、涙が出てきたのだと思います。
でも、ここで一つ、忘れてはいけないことがあります。
それは、お母さんにとって、この場は決して居心地のよい場所ではなかったかもしれないということです。
私にとっては、いつも一緒に活動している仲間たちに囲まれた、安心できる場所。
でも、お母さんにとっては、初めて会う人たちばかりです。
しかも、そのメンバーは、私の活動を応援してくれている人たち。
完全にアウェー状態で、お母さんは、お母さん自身が感じている心配や思いを伝えなければなりませんでした。
私を応援してくれている人たちに囲まれた状態で、自分の考えを話す。
それには、きっと大きな勇気が必要だったと思います。
もしかしたら、話しづらいこともあったかもしれません。
それでも、お母さんは、この機会に話そうと決めて来てくれました。
今日しかない。と思ったのでしょう。
そう思って、重い気持ちを抱えながらも、私と向き合いに来てくれたのだと思います。
私は、このとき初めて、お母さんの強さと覚悟を感じました。
私だけが、自分の気持ちを分かってほしいと思っていたわけではない。
お母さんにも、お母さんなりの思いがあった。
私のことを心配していたからこそ、伝えたいことがあった。
そして、その思いを伝えるために、慣れない場所に来てくれた。
今振り返ると、それは決して簡単なことではなかったと思います。
そして、話し合いの中で忘れられないワンシーンがあります。
お母さんから、初めてこう言われました。
「頑張って」
HONKIの活動を、頑張って。
その言葉を聞いたとき、私はいろいろな気持ちになりました。
もちろん、これまでも、お母さんは私に「頑張ればいいよ」と言ってくれたことがあったのかもしれません。
だから、正確には、初めて聞いた言葉だったわけではないのだと思います。
でも、あの日の「頑張って」は、それまでとはまったく違っていました。
私がどんな思いで活動をしているのか。
なぜ、そこまで夢中になっているのか。
そして、お母さんが心配していたこと。
そうしたことを、話し合いの中で少しずつ伝え合ったうえで、言ってくれた言葉だったからです。
ただ「好きなことをやればいいよ」と言われたのとは違う。
ただ「もう好きにしなさい」と言われたのとも違う。
お互いにいろいろな思いがあることを受け止めながら、それでも「頑張って」と言ってくれた。
私には、そう感じられました。
ずっと、いちばん応援してほしいと思っていた人。
何度も言い合いになり、分かってほしいと願っていた人。
そのお母さんから、ようやく、その言葉をもらうことができました。
あのときの気持ちは、今でも忘れられません。
あれから、約1か月。
あの日から、約1か月が経ちました。
では、あれから私たちの関係が劇的に変わったのかというと……。
そんなことはありません。笑
今でも、やっぱり怒られます。
きっと、困る娘だと思われているでしょう。
心配をかけることもあるし、まだまだうまくできないこともたくさんあります。
でも、私もお母さんも、少しずつ前に進めている気がします。
私は、自分のやりたいことを大切にしながら、お母さんが心配してくれている理由についても、以前より考えるようになりました。
お母さんも、私がなぜHONKIの活動を続けたいのか、どんな思いで取り組んでいるのかを、少しずつ知ってくれたのではないかと思います。
もちろん、すべてを理解し合えたわけではありません。
これからも意見が合わないことはあると思います。
それでも、あの日、直接会って話をしたことには、大きな意味があったと思っています。
電話越しでは、どうしても感情が先に出てしまう。
相手の顔が見えないまま、言葉だけで自分の気持ちを伝えようとする。
でも、直接会って話すことで、言葉だけでは分からなかった表情や、相手の気持ちにも目を向けられたのかもしれません。
そして、何より。
お母さんが、私の大切にしている場所に来てくれたこと。
私の仲間たちと話をしてくれたこと。
それが、私にとってはとても大きな出来事でした。
大切だからこそ、ぶつかることもある。
私は今でも、お母さんをいちばん尊敬しています。
そして、これからも、お母さんのような女性になりたいと思っています。
でも、尊敬しているからといって、いつも同じ考えでいられるわけではありません。
大好きだからといって、いつも分かり合えるわけでもありません。
むしろ、大切な存在だからこそ、分かってほしいと思うこともある。
自分のことを理解してほしいし、自分が大切にしているものも、大切にしてほしい。
そんな気持ちが強くなることもあるのだと思います。
私は、大学に入るまで、お母さんの言うことが絶対だと思っていました。
でも、HONKIに出会って、自分で考えて、自分で決めて、自分の選択に責任を持ちたいと思うようになりました。
その変化は、私にとって大切な成長だったと思います。
一方で、お母さんにとっては、今までと違う娘になっていくことに、戸惑いや心配もあったのかもしれません。
どちらかが間違っていた、ということではないのだと思います。
私には私の思いがあって、お母さんにはお母さんの思いがあった。
ただ、それぞれが大切にしているものが違っていたからこそ、ぶつかることになったのだと思います。
そして、ぶつかったからこそ、初めて気づけたこともありました。
相手のことを大切に思うことと、相手の考えをすべて理解することは、同じではない。
自分の思いを伝えることと、相手の思いを受け止めることは、どちらも大切。
そして、すぐに分かり合えなくても、向き合い続けることには意味がある。
あの夏の出来事を通して、私はそんなことを感じました。
家族との関係は、人それぞれだと思います。
一緒に過ごす時間が多い人もいれば、離れて暮らしている人もいる。
家族との関係に幸せを感じる人もいれば、いろいろな思いを抱えている人もいると思います。
だから、家族とはこうあるべきだとか、必ず分かり合えるはずだとか、簡単には言えません。
ただ、私にとって、あの夏は、大切な人と向き合うことについて考えるきっかけになりました。
自分のやりたいことを諦めずにいたい。
自分の人生を、自分で選んでいきたい。
そして、その選択を支えてくれている人たちへの感謝も忘れずにいたい。
どれも、私にとって大切なことです。
これからも失敗するだろうし、誰かに心配をかけることもあると思います。
お母さんと、また意見がぶつかることもあるかもしれません。
それでも、自分の気持ちを大切にしながら、相手の気持ちにも目を向けられる人になりたいです。
そして、いつか自分が親になったとき。
子どもが何かに夢中になり、自分の知らない世界へ飛び込んでいこうとしたら。
その挑戦を心配する気持ちもあるだろうし、きっと簡単には割り切れないと思います。
でも、そんなときに、子どもの思いをちゃんと聞ける人でありたい。
お母さんが私にしてくれたように、私も誰かと本気で向き合える人になりたい。
そう思います。
最後に。
お母さんへ。

いつも心配をかけてごめんね。
私のことを考えて、たくさん言葉をかけてくれてありがとう。
あの日、HONKIに来てくれてありがとう。
慣れない場所で、私と向き合ってくれてありがとう。
そして、「頑張って」と言ってくれてありがとう。
私はこれからも、自分のやりたいことに本気で向き合っていきます。
その中で、失敗することもあると思うし、心配をかけることもあると思います。
それでも、自分で選んだ道を歩きながら、少しずつ成長していきたいです。
そしていつか、今よりも少し成長した姿を見せられたらいいなと思います。
これからも、見守っててほしいです。最高な娘に。大人に。なると約束します。

コメント