15年ぐらい前、
僕の子どもたちの面倒を見てくれていた大学生が、

今は結婚し、子どもがいたります。
そして今、
その学生の子どもたちの面倒を、
僕の子どもが見ています。
気づいたら、
僕の子どもが先輩です。

でも同時に、
僕の子どもにも多くの先輩がいます。
そして僕にも、
たくさんの先輩がいます。

人は、それが子どもでも親でも
多くの関係性の中でしか、人になれない。
それが、僕がとても多くの人と本気で関わってきて感じたことです。
僕は大学・大学院とアメリカに行きました。
そして日本で教え始めて、
初めて、日本の大学を知りました。
正直、驚きました。
授業もなんとなく。 バイトして、サークルして、 遊んで、旅行して。
これが、二十代前後の若者の過ごし方なのかと。
最初は、やる気の問題だと思いました。
でも違いました。
学生と本気で向き合う中で、
はっきりわかりました。
社会の問題です。
大学生の周りに、
イケてる大人が少なすぎる。
社会には、
本当にかっこいい大人がたくさんいます。
でも、なかなか学生は出会えない。
だから僕は、
社会の面白い人たちを大学に呼び、 学生と本気で語り合う場をつくりました。
でも、学生たちの火は続きませんでした。
その場ではステキな話を聞いて火がつく。一瞬だけ。
でも、数時間後には元に戻る。 学生のいつもの友達、家族、いつもの自分に戻るのは一瞬です。(戻ってしまう理由は後ほど)
だから思いました。
一緒にやり続けるしかない、と。
でも、それを教育の場でやろうとすると、どこに行っても壁がありました。
最近、よく学生に聞かれます。
「それ、やったほうが得ですか?」 「自分にメリットあります?」 「それ、やるべきですか?」
とても合理的です。 むしろ、それが普通なのかもしれません。
でも、その問いだけで判断し続けると、 見えなくなるものがあると思っています。
社会で幸せに生きるために必要な信頼や人との繋がりや優しさは、契約の外側で育つものです。
頼まれていないのに手伝う。 誰も見ていないのに何かをする。 意味もなく残って、どうでもいい話をする。
大事なことは、だいたい「業務の外」で起きています。
社会は タスクで回っているように見えて、 実は善意の余白で回っているんだと僕は信じています。

でも、
「コスパ」「タイパ」など、自分の都合という眼鏡でしか社会を見れない人は、 その余白を全部「無駄」に見てしまう。
すると何が起きるか。
効率的にはうまくいく。 でも、居心地は確実に悪くなる。それは周りだけじゃなく、巡り巡って自分がです。
これは正解・不正解じゃない。
どんな世界で生きたいか、どんな世界であってほしいかの問題です。
今、社会に余裕がありません。どんどんなくっています。
社会が厳しくなり、自分(たち)に余裕がなくなるほど、
人は他人に厳しくなります。
他の人の行動が、自分や自分たちにとって不利益だと感じるほど、 「誰かのせい」にしたくなります。そして、自分が損しないことがとても大事になります。
お互い様を忘れ、 自分たちの利益や都合ばかりに目が向きます。
「誰々が悪い」の嵐です。誰かは信頼できない。誰々がちゃんとしてない。何々がおかしい。
大人も子どもも同じです。
そして、教育がそのように変化します。 社会を表すのが教育です。
なぜなら、社会で生きていくために必要だと思われることが、教育に反映されるからです。
保護者は、
自分の子どもにとって不利益がないように。 問題がないように。 保護者が納得できるように。
保護者が安心できる場所に。
これは本当にいいことなのでしょうか。
社会に必要な教育なのでしょうか。社会で幸せに生きていくために、保護者や教育に関わる人が考えるべきことはなんなんでしょうか?
未来を生きる者たちに、少しだけ長く生きている我々がするべきことは?
保護者や社会はいつまで安心、安全、快適を整えられるのでしょうか。
一生?どのレベルまで?
就職先も選べるのでしょうか。 上司も、人間関係、海外勤務も整えられるのでしょうか。
もし本当に保護者が安心したいのであれば、
「どこに行っても大丈夫」と思える子どもになってもらうことが、いいのではないでしょうか。
不安定な社会で、 子どもたちが自分の力で安心と幸せをつくれる人になること。(その結果、保護者も安心して日々をくらせる)

大学生でも起業している人はいる。 すでにバリバリインターンしている人もいる。 海外の大学で結果を出している人もいる。
もちろん、います。
でも、それは、
成功しそうな人たちは挑戦させてもらえるんです。
親は、自分が耐えられる範囲、 自分が手に負える範囲の中で子どもに挑戦させます。
多くの学校もそうです。
成功確率がそれなりにある人の挑戦を推奨します。
では、現時点で見込みのない子は?
親の安心が優先される環境では? 周りがリスクに対してビビりまくってる環境では?
挑戦なんて、すごい言葉はいらないです。そんな、挑戦なんてレベルじゃないかもしれません。
子どもたちのちょっとやりたいと思ったこと。 関心を持ったこと。 試そうと思ったこと。
これをやらせてもらえないことが多すぎる。
だから、教育の中だけでやることを諦めた。 教育の外に、場所をつくるしかなかった。
それが、HONKI Universityの始まりです。

最初は、大学生のための大学生による活動でした。
いわゆる、サークルのような形です。
学生たちが何かを真剣に、イケてる大人と取り組む場所。
でも、すぐに壁にぶつかりました。
どれだけ想いを語っても、 どれだけ本気で話しても、
最後にこう言われます。
いけてる大人や、社会に言われるんです。
「でも、サークルですよね?」
その一言で、止まる。
取り組みたいと思っている若者はいる。 でも、取り組むこと自体がない。
悔しかったです。
若者が本気でやろうとしていることが、
「サークルだから」という理由だけで、
実績がないから。信用できないから。
相手にされない。
「梅原先生が言ってることも、アツいこともわかります。
でも、学生はそんなにできるんですか? 先生とやるならやりましょう。
でも、メインでやるのは学生ですよね?」
って。
その通り。だって、まだ実績がないから、気持ちしかないから、やる場所がない。
この構造自体を打破したいのに。
そういう学生は一生何もチャレンジできないのか。
そして僕もその場所を作ることもできない。
でも同時に、
社会の言っていることも理解できました。
若者だけでやっているものは、
どうしても信用されにくい。
「何かあったら誰が責任を取るの?」
当然の問いです。
だから、NPOを設立しました。

若者の挑戦の責任を、
僕が引き受けるためです。
何かあったら、僕の責任にする。
その覚悟を僕が本気で持つことで、
初めて社会は、少しだけ信じてくれる。
それでも簡単ではありませんでした。
「何ができるの?」と聞かれ続けます。
当然です。
気持ちはある。 でもスキルはない。
それでも、やるしかない。
若者の挑戦を、
無責任なものにしたくなかったからです。
そこから始まりました。
若者と社会の”信用”を、一緒につくる時間。

HONKIが始まってから、今までの活動を振り返ってみると、
とても青臭く、嘘っぽいかもしれませんが、とても大事なことを知ることができました。
それは、
働くこと、誰かのために何かをすること自体が本質的に楽しいと感じることが人間はできる。
ということです。
お金をもらえるから、何か見返りがあるから、相手を思いやるのではなく、 そのこと自体が本質的に楽しい、関わりたいやりたい、と思うことができる。
これは結果論なんですが。。。
最初はお金なんてもらえない。信じてもらえないから、無料でやるしかない笑
お金のためにやれなかったから、コツコツと、関わってくれる人たちが少しでも喜んでくれるように、ということに全力で尽くすことからしか始められませんでした。
今まで何度、梅原さん、もっとお金になることをした方がいい。 お金を産まないと続かないよ。と多分100回なんてもんじゃない、1000回ぐらいありとあらゆる場所で言われてきました。
そうなのかな?って。
儲けがないといけないのかな。と。
ほとんどの若者、いや、人は、社会は、 自分が儲けたい、というか稼ぎたいから、働いているかもしれない。
でもこの気持ちで働くと、儲けられる分だけやることを上手にやって、それ以上のことは知ろうともやろうとも知らない。
自分の会社のことも製品のことも、そしてそれを買う人たちのことも。
僕たちは違う。(最初はそれができなかっただけですが笑)

来る人に、楽しんでってほしい。喜んでほしい(じゃないとチャンスがもらえない)そのマインドで本気で突き進んできました。
その結果、少しずつ、本当に少しずつ、やれること、やらせてもらえることが増えてきました。
小さい子の十円玉貯金のように。ちょっとずつですが、ありとあらゆることが積み上げられてきました。
それは人との繋がりも、信用も信頼も、失敗も勝利も、涙も喜びも。ありとあらゆることが、HONKI Universityの文化になり、信念になり、今まで引き継がれてきました。

その結果、僕たちは今のメインの活動である、ユニバーサルカヌー体験会に対しても同じ気持ちで取り組んでいます。
なんならタダでカヌーに乗って欲しい。
無料なのはいいことです。だってお客さんが得をしている。
仮に僕たちが赤字でも、みんなが喜んでくれることは嬉しい。また来たいって思ってくれることは幸せ。
でも確かに、ずっと赤字だと潰れてしまいます。
これはなぜいけないのか?
それは自分が儲けないと困るから?
まーそれもそうですが、むしろ
「僕たちが潰れたら、お客さんに楽しんでもらえなくなるから。喜んでもらえなくなるから」です。
この順番がとても大事なことに気がついていきました。
儲けを先に考える。自分のことを先に考える世の中。コスパ、タイパ、自分にとって得か。
その真逆なんです。
相手を考える。しかし、相手だけ考えると続けられなくなる。
そうすると結局喜んでもらえなくなる。 仕方なく、続けられるためにどうすればいいのかを考える。
この順番です。
HONKIではそういうことを常に感じます。
誰かの笑顔、誰かにとって楽しい時間は、
自分にとって、本当に最高な瞬間である。
そして、それは一人では作れない。
みんなでだから、作れる。
他の人は大切だ。自分と同じくらい、他の人を大事にしたい。
こんな言葉があります、
「早く行きたければ、一人で行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け
If you want to go fast, go alone; if you want to go far, go together
HONKI Universityは、
みんなにとっての挑戦の場所です。
お金がないとだめ
無料じゃ人は動かない
金ないと続かない
人はコスパを求める
そんなことない。
社会はそんな風にできていない、という挑戦です。
そしてその挑戦の場所をみんなで作って発展させてきた。

みんなが挑む裏側には、個人のとんでもないレベルの挑戦があります。
遠くからわざわざ金をもらえないけど行く。
他のことをする時間を削る
バイトをしない。 ある意味、家事を放棄する(絶対ダメ)
パートナーを放置する(これもダメ)
なんでもいい。 でも、みんなが色々なものを捨てて、選んであの場を成り立たせる。
HONKIに関わってくれた、くれている全ての人から、教えてもらいました。
社会はいい場所だ。
みんなでみんなの居場所は作っていける。
みんなでなら、挑戦の場所がなかった人が挑戦する場所を作ることができる。

NPO HONKI Universityには多くの人がいます。
赤ちゃんもいれば、 人生の大先輩もいる。

僕の父母を超える年齢の人もいます。
その中で、
いろいろな子育て、教育を見てきました。
そして本当にありがたいことに、
僕も僕の子どもたちも、多くの人に育ててもらってきて、今も育ててもらっています。
僕自身3人の子ども、そして1人の子どもを死産で亡くしていますが、親ではあります。
子ども誕生した瞬間に親にはなるのですが、親になったわけではありませんでした。
「親は、子どもを産めば親になるわけではない」今まで本当に多くの人たちを関わってきて、学んだことです。
親は
子どもと一緒に、親になっていくものだと、今までに とてつもなく多くの家庭と関わらせていただくことで感じてきました。
そもそも、二人の親だけで親になることは難しい。難易度が高すぎると。
子どもは思い通りにならない。自分の人生だけでも難しいのに、他の人間の人生なんて激ムズ。
うまくいかないことばかりです。
その中で、親も迷い、悩み、間違えながら、 少しずつ親になっていく。
でも、それを一つの家庭だけで背負うには重すぎます。 先の見えない不安も、休む場所もない現実も、頼る人のいない社会も。
本来、子育ては家庭内だけでやるものではない。そうじゃなかった。
子育て、という言葉がきっと違う。
多くの人が関わる中で、子どもは育つ。 育てるものじゃない。勝手に育つのが子どもたち。
そして、
親もまた、多くの人の中で親に少しずつなっていく。なっていける。
子どもに、若者に挑戦させない、保護者、親、教育者、社会、が悪いんじゃなかったんだと気がついていきました。
最初から自分を、人を信じる強さも、不安の中で進む勇気もない。
それを育むには、育める場所が必要なんです。
それは挑戦する人だけの話ではない。挑戦を見守る。挑戦を応援する。挑戦に関わる。
挑戦の周りにいる人たちにも、そうなっていく場所が必要なんです。
親にだって、時間が必要。時間をかけて、親になっていく。

でも、今の社会では、自分だけの力で、失敗できる、安心できる場所を作るのは難しい。
親になることが難しいから、挑戦を許してあげられないんだ。
HONKIのみんなが僕にそれを教えてくれ続けています。
僕には家族もいるし、HONKIのみんながいる。
僕は一人親になったわけじゃない。
僕には帰れる場所がたくさんある。安心できる場所がたくさんある。
笑える場所も泣ける場所も。
僕は親に、保護者に、応援者に、ならせてもらえてきたんです。

僕は誰かを
守るために何かをやっていない。守ることなんて絶対にできないと、学び続けてきました。
僕は、誰かと少しでも
ちょっとでも、一緒に生きることができたらと思っています。
一緒に傷ついて、 一緒に泣いて、 一緒に笑う。
それが、僕の考える、応援するということです。
振り返ってみると、
HONKIに関わってくれた全ての人が、
ずっと僕の伴奏をしてくれていたんだと気がつきます。
僕が迷ったとき。 僕が間違えたとき。 僕が止まりそうになったとき。
そのたびに、HONKIのみんながいた。
みんなでだから、進めた。
HONKI=本当の気持ちとはなんなのか、どういうことなのかを
HONKIのみんなが教えてくれました。僕が知っていたわけではない。
迷子とは、道に迷うことじゃない。
間違えることじゃない。失敗することじゃない。
迷子なのは、歩みを止めたとき。歩くことを諦めた時。
自分に期待できなくなった時。自分を大切にできなくなった時。
社会を諦めた時。
どれだけ間違えてもいい。どれだけ変な方向に行ってもいい。
自分の足で歩き続けることが幸せな人生だと思う。
一歩踏み出し始めた若者は、猛烈に迷い、葛藤します。

周りの人が、バイトやサークルに明け暮れて、 なんとなく平和そうに見える中で、
自分だけが、違うことを始めるのです。
周りからの反応。 友達や保護者からのストップ
自分を信じて、 あえて違う行動を選ぶ。
でも、すぐに結果は出ません。
すぐに変われるわけでもありません。
それは、
孤独で、不安で、
いつでも逃げたくなるし、やめたくなる作業です。
それでも、
それでも、
自分だけは、自分を信じる。
自分に期待する。
そして、
誰に言われなくても、
自分の足で、自分の歩みを進める。
それが、
自分の足で生き始めた瞬間です。
たとえ、
保護者が応援してくれなくても。
周りが理解してくれなくても。 時には、バカにされることがあっても。
それでも進む。
その一歩を、僕は何度も見てきました。

社会は本当に不思議です。
多くの人が聞きます。
「やりたいことはないのか?」 「目標は?」 「夢は?」
ないと、ダメだなーとなります。
見つけたと思った瞬間、
「やれるの?」 「大変だよ」 「現実見なよ」
と言われます。
そんなことばかりです。
それでも、踏み出した若者の
その一歩は、
覚悟の詰まった一歩です。
今までの自分への挑戦です。 自分の意思で進めた周りへの挑戦です。
それを見るたびに、思います。
僕も挑戦しようと。
そしてそれ以上に、
その一歩の責任を僕も引き受けるという挑戦をしようと。
学生たちは、
自分たちの範囲外の一歩を踏み出します。
教室の外。 学校の外。
いろいろなものがかかっています。
だから僕は、
その責任を引き受ける覚悟で関わります。
それが、
一緒に歩むということだと思っています。

教育の目的は何か。なぜみんな学ぶのか。
それは、幸せに生きる人になること。
では、それはどこで学ぶのか。
社会です。
だから、僕は学びの舞台は社会と設定しました。
ゼミの名前は共創実践ゼミです。
共創はきれいではありません。
ぐちゃぐちゃです。
人との共同は、創造は、
ズレます。 ぶつかります。 壊れます。
でも、その中でしか、
自分は見えてきません。
見えなくていいんです。
どれだけ間違えてもいい。
歩き続けてほしい。
そんなこんなで、どんなことだって、無駄じゃない。
何がどう繋がるかわからない。
HONKIで見てきたこと。 感じてきたこと。 失敗してきたこと。
全てが、今につながっています。
HONKI University は、湘南に来れる人しかやれない。 お金や時間を作り出せる人しかやれない。
でも、大学はもちろん私立だけど、ある意味、参加しやすい人がいる。
だから今、
僕のやりたかったことを、やりたかったけど、15年前の僕ができなかったことを
もう一度、教育の場所でやりたい。

HONKIのみんなが、ずっと僕の伴奏を続けてくれたように、
今度は、僕が学生の伴奏をしたい。
そんな、学生たちと僕の挑戦が始まりました。
果たしてどうなるのは?15年前の僕はこうなることを想像もできませんでした。
今から15年後どうなるのか。未来がわからないこと、何も想像できないことが幸せです。
2026年5月3日。
HONKI Universityがずっと大事にしてきた、ユニバーサルカヌー体験会の初日です。
活動場所の池が壊れてしまい、しばらくできなかったカヌーが、数年ぶりに再開。
今までずっと関わってくれたHONKIのみんな、そして新しくジョインしてくれた学生たちの
カヌーの共創の始まりです。 そして僕にとっても新たな挑戦の始まりです。
みんなの本当の気持ちが大切にされるきっかけが、また今日から生み出されることを嬉しく、そして誇りに感じます。
学生を見ていると、本当に可能性は無限だなと感じます。
勉強が得意。行動力がある。自信がある。コミュニケーション能力がある。
今の社会から価値があると言われる力。
そういうものを分かりやすく発揮していない学生も僕のゼミにはいます。
でも今の学生の姿は、将来みんなの姿を全く教えてくれない。
自分の可能性に気がつき。人を信じ。社会を信じ。
少しずつ、自分の足こそが自分を運んでいってくれることを知ると、とんでもなく変わっていく。
そんなことを教えてくれるようなブログを学生が書いてくれています。
ぜひこちらをご覧ください。
わたしの挑戦は、ひとりじゃきっとできなかった
社会はいい場所なはずだ。自分の本当の気持ち、他の人の本当の気持ちは大切にできる。
これからもコツコツ。特別なことではなく。
目の前の大切な人、大切なこと、大切な気持ちをちゃんと大切にしながら、日々を本気で楽しんでいきたい。
僕の主語はいつからか、「おれ」じゃなくなりました。
「おれたち」が幸せに生きられるように。
そしてその「おれたち」に含まれる人がまた増えていったらいいなーと思います。
そんなステキなご縁がこれからもきっとたくさんあるはず。


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