第1話|私がいちばん尊敬している人

みなさんこんにちは!ほのかです!

さて、今週のブログはどうしよう。

辻の盆のことも、セブのことも、利尻島のことも書いたし、何を書こうかな。

そんなことを考えながら、今、パソコンをカタカタしています。

私がブログを書くときは、いつも何かしらのイベントがあって、その出来事を通して感じたことや考えたことを綴っています。

でも今回は、特定のイベントをメインにするのではなく、今の自分が考えていることについて書いてみようと思います。

ありがたいことに、頭の中はぐちゃぐちゃかもしれませんが、それなりに考えていることはあるようです。笑

そんな中で、今、ふと思い浮かんだこと。

それは、お母さんのことです。

私がいちばん尊敬している人。

そして、今でも、こんな女性になりたいと思っている人。

それが、私のお母さんです。

目次

1.私のお母さん

私はタイと日本のハーフで、タイのバンコクで生まれ育ち、15歳のときに親元を離れ日本で住み始めました。

2歳上の兄と、双子の弟がいます。

兄は5歳の頃からテニスを始め、大学を卒業するまでずっと続けていました。

小さい頃の週末は、兄のテニスの試合会場で一日中過ごすことがよくありました。

それくらい、幼少期の週末の思い出は兄のテニスを中心に回っていた記憶があります。

一方で、私と双子の弟はのんびーーり。

兄の姿を見てテニスを習っていた時期もありましたが、当時の厳しい練習を目の当たりにして、「テニスは嫌だ!!」となり続きませんでした。

テニス以外にも、ピアノ、テコンドー、サッカー、公文、ダンス、水泳など、いろいろな習い事をしていました。

が、小学4年生以降は……

なにも。

なにもせず。

大学生まで来てしまいました。

そんな私ですが、大学生になるまで、

いちばん尊敬している人は誰かと聞かれたら、迷わずお母さんと答えていました。

そして、母みたいな女性になりたいと思っていました。

もちろん、今でもその気持ちは変わっていません。

2.夢に向かって努力する人

私のお母さんは、昔から自分で決めたことに向かって努力する人でした。

母は、中学からシングルファーザーの家庭で育ち、

中学生の頃から家事や料理を自分でこなし、早くから自立する力を身につけていたそうです。

そんな母には、ずっと叶えたい夢がありました。

それは、オーストラリアに留学すること。

自分では勉強が得意なタイプではなかったと言っていましたが、

それでも英語を一生懸命勉強し、夢だったオーストラリアへ。

そして、その留学先でタイ人の父と出会い、結婚しました。

以前、祖父が亡くなったとき、祖父の荷物の中から、母が中学生の頃から毎日つけていた日記が見つかりました。

私はその日記をすべて読みました。

そこには、母がそのときどきに考えていたことや、日々の努力がたくさん詰まっていました。

読んでいて、改めてすごいなと思いました。

自分の夢に向かって努力すること。

すぐに結果が出なくても、諦めずに続けること。

母のこれまでの歩みを知ることで、私自身もたくさんのことを感じました。

また、母が周りの人から頼りにされている姿も、近くで見てきました。

人としてしっかりしていて、自分の考えを持っている。

そんな母を、私はずっと尊敬していました。

だからこそ、私はいつからか、母の言うことは間違いないと思うようになっていました。

母から「こっちのほうがいいんじゃない?」と言われて、別の選択をしたときには、結果的に

「ああ、やっぱりお母さんの言う通りだった……」と思うこともありました。。。。

もちろん、母は自分の言うことを絶対に聞きなさい、という人ではありません。

それでも、私の中では、母の考えや判断に対する信頼がとても大きかったのです。

そのせいか、私自身、あまり反抗期らしい反抗期がありませんでした。

ちなみに、兄弟3人とも、これといった反抗期がなかった気がします。

ただ、今思えば、私がいちばん手のかかる娘になったのかもしれません。笑

3.「普通の生活がいちばん」

そんな母から、昔、言われた言葉があります。

「いい仕事に就いたからといって、幸せになれるわけじゃないし、お金がたくさんあっても、心が幸せじゃない人はいる。本当に、普通の生活がいちばんなんだよ」

この言葉は、今でも私の中に残っています。

母の仕事先や周りには、仕事で成功していたり、社会的な地位があったりしても、心から幸せだとは言えない人がいました。

また、子どもの将来を思うあまり、勉強に厳しく向き合いすぎて、親子ともにつらい思いをしてしまった家庭の話を聞くこともありました。

私は、そうした人たちのことを知る中で、幼いながらに、自分はとても恵まれているのだと感じていました。

だからなのか、

いい大学に行けば幸せになれる。

いい会社に就職すれば幸せになれる。

お金持ちになれば幸せになれる。

そんな考え方には、とらわれずに育った気がします。

もちろん、いい大学を目指すことも、仕事で成功することも、お金を得ることも、素敵なことだと思います。

ただ、それだけで幸せが決まるわけではない。

そう考えるようになったのは、母の言葉や、これまでに見聞きしてきたことが大きかったのだと思います。

高校生になり、大学を選ぶとき。

学歴を大切にしている友達や、親から進学先について強い期待を寄せられている友達を見てきました。

大学に入ってからも、大企業に就職することが、幸せな人生につながると考えている人をたくさん見ました。

もちろん、何を幸せと感じるかは人それぞれです。

誰かが大切にしているものを、別の誰かが同じように大切にする必要もありません。

ただ、私にとっては、母から教わった考え方が、自分の中にある一つの軸になっていました。

だから大学に入るまでは、私も「普通の生活がいちばん」だと思っていました。

4.私が想像していた大学生活

では、当時の私にとっての普通って、何だったのでしょうか。

簡単な授業を選んで、たまにはサボって。

友達と夜遅くまで遊んで、美容にお金をかけて。

それをSNSに載せて、アルバイトをして、自分の欲しいものを買って。

友達と旅行にも行って。

そんな大学生活を想像していました。

というか、それが一般的な大学生の生活なのかもしれません。

もちろん、大学生活の過ごし方に正解はありません。

勉強に打ち込む人もいれば、アルバイトを頑張る人もいるし、友達との時間を大切にする人もいる。

それぞれに、その人なりの大学生活があると思います。

ただ、当時の私には、これといって夢中になりたいものがありませんでした。

母からも、大学に入る前に、こんなことを言われていました。

「大学4年間は、自分のやりたいことを見つける時間なんだから、その中で探してみな」

でも、当時の私は、生きがいとか、やりたいこととか、夢中になれることが何なのか、よく分かっていませんでした。

だから、大学生活の中でそんなものが見つかるなんて、まだまだ先の話だろうなと思っていました。

とりあえず、さっき書いたような大学生活を送るんだろうな、と。

ところが。

私の大学生活は、想像していたものとは大きく変わることになります。

5.やっぱり、私はHONKIを続けたい。

大学1年生の頃。

必修の英語の授業を担当していた梅原先生から、先生が代表を務めるNPO法人HONKI Universityの活動に誘っていただきました。

これが、私の大学生活を大きく変えるきっかけになりました。

それまで、何かに夢中になったり、自分から「これをやりたい!」と思ったりした経験が、あまりなかった私。

そんな私が初めて、

「これ、楽しいかも!」

「もっとやりたい!」

と思えた活動でした。

何もないと思っていた自分が、初めて夢中になれるものを見つけたのです。

そこから、私の大学生活はガラリと変わりました。

どんな活動をしているのかは、ぜひ過去のブログも読んでみてください!

(過去のブログはこちら)

①2500個のヨーヨーに詰まっていた、みんなの時間。辻の盆。

②わたしの挑戦は、ひとりじゃきっとできなかった。ユニバーサルカヌー。

③三崎中学校での講演会。そして、私の過去がひっくり返った日。

友達と遊ぶことよりも、買い物に行くことよりも、アルバイトをすることよりも。

HONKIの活動をやりたい。

そう思うようになりました。

HONKIでは、

活動そのものの楽しさはもちろん、人との関わり方、本当の優しさ、やりがい、頑張ること、感情、決断、勇気、度胸、仲間の大切さ、何かを達成する喜び、苦手なことに向き合う強さ……。

数えきれないほどのことを学んでいます。

そして、幸せとは何なのか、大人になるとはどういうことなのか。

そんなことまで考えるようになりました。

母が言っていた「大学4年間で自分のやりたいことを見つけなさい」という言葉。

まさか自分が、こんなにも夢中になれるものに出会うとは思っていませんでした。

ただ、ここから、私と母の関係にも少しずつ変化が生まれていきました。

私がHONKIの活動に夢中になればなるほど、母の心配も大きくなっていったのです。

当たり前ですよね。

母たちはバンコクに住んでいて、私は日本で暮らしています。

普段の生活が見えない中で、娘が急に何かに夢中になり、今までとは違う生活を送るようになったのですから。

母からすれば、心配になることもたくさんあったと思います。

私自身も、家事や勉強、HONKIの活動を両立することに慣れておらず、帰宅したらそのまま倒れ込むように寝てしまうこともありました。

そんな様子を知った母が、心配してくれることもありました。

でも、当時の私は、初めて見つけた「やりたいこと」を手放したくありませんでした。

母の心配も分かる。

でも、私はもっと活動したい。

そんな気持ちがぶつかり、電話をするたびに、言い合いになってしまうことが増えていきました。

それまで、母の考えを信頼し、あまり反抗することもなかった私。

だからこそ、何度も意見がぶつかることは、自分にとっても初めての経験でした。

もしかしたら、これが私の初めての反抗期だったのかもしれません。

HONKIを続けるべきなのか。

少し活動を減らしたほうがいいのか。

それとも、思い切ってやめたほうがいいのか。

何度も考えました。

でも、考えても考えても、最後に出てくる気持ちは同じでした。

やっぱり、私はHONKIを続けたい。

せっかく見つけた、自分が夢中になれるもの。

自分の人生を使って、もっと知りたい、もっと挑戦したいと思えるもの。

簡単には手放せませんでした。

でも、このときの私は、まだ知りませんでした。

自分が夢中になれるものを見つけたことが、

まさか、大好きなお母さんとの関係をこんなにも変えることになるなんて。

何度も電話で言い合いになり、
自分の選択に迷い、
それでも、どうしても手放したくなかったもの。

そして、ある夏の日。

ずっと避けたかった展開が、ついにやってきます。

「HONKIの活動を見に行く。先生やメンバーの方たちと話をさせて」

母からそう言われたとき、私はもう、気が気ではありませんでした。

このときの私は、これから何が起こるのか、想像もしていませんでした。

そして、この出来事が、私と母にとって大きな一歩になることも。

次回。

大好きなお母さんと、初めて本気でぶつかった夏。

そして、あの日、母からもらった言葉について書こうと思います。

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