私の通っているアメリカの大学は、
ジムの設備がとても充実しています。
その中でも、
私が特に気に入っているのがサウナです。
大学のジムにサウナがあること自体、
日本の大学ではあまり馴染みがなかったので、
最初はとても驚きました。
そんなサウナで、
先日ちょっとした出来事がありました。
サウナから出るためにドアを開け、
そのまま閉めようとしたところ、
「ドアはもっと素早く閉めたほうがいいよ。
みんなサウナに集中しているから。
そうしないとrudeだと思われるよ。」
と言われたのです。
そのとき、私は少し驚きました。
「え、そんなに気にするんだ……?」
サウナのドアを閉めること自体は、
もちろん分かります。
でも、自分の何気なく取っていた行動が、
誰かにとっては嫌なイメージを与えてしまうとまで
想像したことがありませんでした。
日本のサウナだったら、
ドアを開けっぱなしにしていたら
「ちゃんと閉めようよ」
と思われるかもしれません。
でも、少し閉めるのが遅かったくらいで、
「rude(失礼)な人」とまで考えるでしょうか。
もちろん、これは一つの出来事にすぎません。
実際、後から聞いたところによると、
このサウナのルールはアメリカ全体の文化というより、
私が通っている大学での
暗黙のルールに近いものだったようです。
それでも、
この出来事をきっかけに、ふと考えました。
文化の違いって「何をするか」だけではなく、
「何を気にするか」にも表れるんじゃないか。
アメリカに来る前、
私の中にあったアメリカのイメージは、
「自由」「オープン」「ラフ」。
日本よりも、
細かいことを
あまり気にしないようなイメージがありました。
だからこそ、
今回のように
「え、そこを気にするんだ」
と思う瞬間があると、
なんだか興味深いのです。
私にとっては何でもないことでも、
誰かにとっては
「されたら嫌なこと」なのかもしれません。
そもそも「されたら嫌なこと」って何だろう?

何をされたら嫌?
無視されること。
約束を破られること。
否定から入られること。
勝手にスマホを見られること。
それとも、一人の時間を邪魔されること。
きっと、人によって全然違います。
私の場合、「されたら嫌なこと」を考えてみると、
まず思い浮かぶのが「ドタキャン」です。
私がされたら嫌なこと「ドタキャン」
ドタキャンとは、
約束の直前になって予定を取り消すことです。
ちなみに、
ドタキャンの正式名称が「土壇場キャンセル」だということを、
恥ずかしながら、最近初めて知りました。
もちろん、急な予定が入ったり、
体調が悪くなったりして、
予定が変わってしまうことは仕方がないと思います。
それでも私は、
一度決まった予定が直前になって大幅に変更されることに、
かなりストレスを感じてしまいます。
そんな私がアメリカに来てから体験した、
忘れられないドタキャンエピソードが一つあります。
本来、私はルームメイトと
二人で暮らす予定だったのですが、
何らかの理由でダブルルームを一人で使っていました。
そんなある日、
担当の方からルームメイト候補の紹介があり、
顔合わせをすることになりました。
実際に会ってみて、相性が合えば一緒に住もう、
というところまで話が進んでいました。
そして、約束の時間は16時。
その3分前に彼女から届いたメールが、
「もうルームメイトを探す必要はなくなった。
でも、会うこともできるから、あなたに任せるよ」
というものでした。
……3分前。
友達にこの話をしたところ、
「それがアメリカ人だよ」
と言われました。
でも、私は少し違うと思っています。
時間を守らないことを、
生まれた国を理由にしてはいけないと思うからです。
時間を守るアメリカ人ももちろんいます。
だからこそ私は、国や文化を理由にして、
「この国の人はこういう人」
と決めつけないようにしたい。
そして
「自分がどんな人間になりたいのか。
そして、どんな人間にはなりたくないのか」
を、自分自身の中で明確にしておきたいと思っています。
今回の「されたら嫌なこと」を考える中で、
以前書いたこの記事のことを思い出しました。
「他人と関わっていく上で、自分はどんな人間でありたいのか」
ということについて考えた記事です。
良ければこちらも読んでみてください!

「自分がされて嫌なことは、人にしない」
このドタキャンのことを考えていたら、
小さい頃に母親から言われた言葉を思い出しました。
「自分がされて嫌なことは、人にしちゃダメだよ」
きっと、多くの人が一度は言われたことのある言葉なのではないでしょうか。
私自身も、
この言葉は大切なことだと思っています。
でも、最近になって、
少し考えるようになりました。
「自分がされて嫌なことはしない」って、
実は少し難しいのではないでしょうか。
なぜなら、自分がされて嫌なことと、
相手がされて嫌なことは、
必ずしも同じではないからです。
これは友達に限らず、
恋愛でも同じことが言えると感じます。
恋人のことが好きでも、
自分の時間や友達、勉強、好きなことも大切にしたい。
でも、相手にとっては
「好きならできるだけ一緒にいたい」
が愛情かもしれない。
自分にとっては普通の距離感でも、
相手にとっては寂しい。
逆に、相手にとって普通の距離感でも、
自分にとっては苦しい。
「自分だったら嬉しいから」という理由で
相手にも同じことをしても、
それが相手にとって嬉しいとは限りません。
これは、自分とは違う国の人と関わっていると、
より強く感じることなのかもしれません。
そう考えると、
「自分がされて嫌なことはしない」だけでは、
相手を思いやるには足りないのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
そもそも「嫌」はどこから生まれるのか
では私たちはそもそも、どうやって
「これは嫌」
「これは気にならない」
という感覚を身につけていくのでしょうか。
今学期、私は発達心理学の授業を取っています。
そこで、
「性格は遺伝で決まるのか、それとも環境で決まるのか」
といったようなことを学んでいるのですが、
これがとても面白いのです。
このテーマについては、
また別の記事でじっくり書きたいと思っています。
少し話がそれましたが、
「何を嫌だと感じるか」という感覚も、
もしかすると、自分が生きてきた環境によって
少しずつ形成されていくのではないでしょうか。
家族との関係。
友達との関係。
学校での経験。
過去の出来事。
そして、自分が生まれ育った社会や文化。
そういうものが少しずつ積み重なって、
「これは失礼」
「これは普通」
「これは嬉しい」
「これはされたくない」
という、自分なりの基準ができていくのかもしれません。
「嫌」が集まると、マナーになる?
そして、たくさんの人が同じように
「これは嫌だ」と感じるようになると、
それはいつしか
「マナー」になっていくのではないでしょうか。
たとえば、今回のサウナだったら
「ドアが開いていると熱が逃げて嫌だ」
↓
「だから、できるだけ早く閉めてほしい」
↓
「みんながそれを守る」
↓
「それをしないと失礼だと思われる」
というように。
もちろん、
文化やマナーがすべて
このように作られるわけではありません。
今回のサウナについても、
先ほど書いたように、
アメリカ全体の文化というより、
大学内のルールに近いものでした。
それでも、
「人々が何をされたら嫌なのか」
という感覚の積み重ねが、
その社会のルールやマナーの一部をつくっている
という考え方は、少し面白いなと思います。
そう考えると、今回のサウナでの出来事も、
単なる「マナーの違い」として終わらせるのではなく、
「私は何を気にして、相手は何を気にするのか」
という、もっと大きな問いにつながっていくように感じます。
「普通」は普通じゃない
留学をしていると、
自分の「普通」が何度も揺さぶられます。
今まで当たり前だと思っていたことが、
別の場所では当たり前ではありません。
私は、この感覚を肌で実感できることこそ、
留学の醍醐味の一つだと思っています。
そして、そうした経験をしたくて、
留学を決断したと言っても過言ではありません。
自分と違う考え方に出会ったとき、
「なんでそんなこと気にするの?」
「なんでそんなことするの?」
と考えることは簡単です。
でも、その代わりに、
「この人は、何を大切にしているんだろう」
「この文化では、何をされたら嫌なんだろう」
と考えてみる。
それだけでも、
少し相手のことが分かるようになる気がします。
小さい頃に教えてもらった、
「自分がされて嫌なことは、人にしない。」
という言葉。
今の私は、
そこにもう一つ付け加えたいと思っています。
「自分がされて嫌じゃないことでも、
相手は嫌かもしれない。」
だからこそ、
「自分だったらどう思うか」
だけではなく、
「この人だったらどう思うんだろう」
と考える。
「されたら嫌なこと」は、
一人ひとり違います。
そして、その違いが、
人間関係をつくり、
社会のマナーをつくり、
もしかしたら文化そのものにもつながっているのかもしれません。
“サウナのドアを素早く閉める”
些細な出来事から、私はそんなことを考えました。


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