
梅原ゼミで活動している清水菜々美です。
私は現在、上野で開催されるあるお祭りの統括をしています。 1年生の時から参加していて、今年で関わるのは3回目。統括を務めるのは2回目になります。
今の私にとって、このお祭りは何よりも大切な居場所であり、活動です。 このお祭りに参加していなかったら、梅原ゼミにもきっと参加していなかったと思います。

私がこのお祭りを通してずっと向き合ってきたこと。 それは、「なぜ私はこの企画をやるのか」「自分は何が一番したいのか」という問いでした。
祭りの過酷な準備期間の中で、何度も悩み、心が折れそうになりながら葛藤してきました。 今回は、その葛藤の中で私が見つけたものについて少しだけ書けたらと思います。
なぜ、私はこの祭りをするのか
私が運営しているのは、2019年に上野で始まり、今年で6回目を迎えるお祭りです。 私が関わり始めた時にはすでに先輩たちが作り上げてきた土台があり、私はこの祭りを立ち上げた創設者の方にお会いしたことはありません。
初めて統括を任された時、私は先輩からこんな言葉を投げかけられました。
「菜々美はどうしてこの祭りをするの?」 「創設者の気持ちも汲んで欲しいけど、菜々美がこの祭りをどうしてする意味を考えなきゃいけない。する意味がないなら、この祭りを終わらすことも視野に入れるべきだ」
当時の私は、頭が真っ白になりました。
「この祭りを終わらせるなんてとんでもない」と思う一方で、どうして先輩からそんな厳しい言葉が出たのか、全く理解できなかったからです。
私はただ、「この祭りをもっと良くしたい」と思っていました。 でも、その理由が曖昧だったのです。
私がこの祭りを受け継ぐ意味。続けていく意味。引き継いでいく意味。 創設者がいない中で、この祭りはもう「誰かから預かったもの」ではなく、「私が当事者である祭り」にならなければいけなかったのに、当時の私にはその覚悟が足りていませんでした。
答えが見つかった日
答えがはっきりと出ないまま、私は約5ヶ月間の過酷な運営期間を過ごしていました。 そんなある日、先輩が一本の動画を見せてくれました。それは、祭りの創設者の方の報告会の動画でした。
「社会で生きていて一人だと感じても、あの祭りで感じた一体感をふと思い出してくれたら。あの祭りがある日だけでも、人は一体になれるのだと思い出せる祭りであってほしい」
動画の中で語られる創設者の想い。当時の私は、その言葉を胸に刻みながらも、まだどこか完全に実感が湧いていたわけではありませんでした。
そして、初めて統括として迎えた祭りの当日。
私の目の前に広がったのは、会場に響き渡る声、立ち並ぶテント出店、来場者が作り会場を彩る無数の風車、2メートルもある大きなモニュメントに来場者の手で飾られていく花々、白紙だったコメントボードがたくさんの人の文字や想いで埋め尽くされていく光景。そして、お年寄も、外国の方も、子どもも若者も、みんなが一緒になって笑いながら盆踊りを踊っている姿でした。

その光景を目の当たりにしたわたしは、
「ああ、創設者が言っていた『一体感』とは、まさにこれなんだ」 私が心の底から良くしたい、守りたいと思っていた祭りは、こんなにも素敵なものだったんだと、自分の中で点と点が繋がった瞬間でした。
「わたし」が統括している祭り
この光景を見て、私はようやく自分の答えを見つけました。
私がこの祭りをする理由、それは、この最高の一体感を、この景色を、繋いでいきたいからです。
今年、私は2回目の統括を務めています。 準備期間は短く、体制が変わったことで例年以上に過酷な日々が続きました。一緒に運営をしてくれているたくさんの後輩たちにも、大変な思いをさせてしまっているかもしれません。
忙しさやプレッシャーの中で、何度も立ち止まりそうになりました。 でも、去年の私と今年の私では、決定的に違うことが一つあります。
それは、「自分は何が一番したいのか」というブレない軸があることです。
私は、あの時私が見た最高の光景を、今年頑張ってくれている後輩たちにも見せてあげたい。 だからこそ、どんなに過酷でも、私はこの祭りを心の底から成功させたいと言い切ることができます。
かつては「創設者の祭り」だったものが、葛藤を乗り越えたことで、今は胸を張って「私の祭り」だと言えるようになりました。

今年の祭りのコンセプトは「一体感」です。 様々な人、数え切れないほどの文化が共存する上野で、その文化と人々が祭りの熱で共鳴し、熱狂できる一日を作ること。
その日のために、私はこれからも自分の「なぜ」と向き合いながら、走り続けたいと思います。


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