「いい作品」は、カメラの前ではなく、その後ろで生まれていた。

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いつもとは違う学びと経験の一日

「もう一回、この道を歩いてみよう。」

下北沢の商店街でそう声がかかったとき、私は「また撮り直すのかな」と思った。でも理由を聞くと、「歩き方じゃなくて、光の当たり方が今の曲に合わない気がする」というものだった。

正直、そのときの私は「そこまでこだわるんだ」と驚いた。MVはカメラを回して撮れば完成するものだと思っていたからだ。しかし、その一言をきっかけに、私の中で作品づくりに対する考え方が大きく変わった。

今回私は、兄と兄の仕事場の方々と一緒に、自分たちで制作したオリジナル曲のMV(ミュージックビデオ)の撮影を行った。撮影場所は下北沢の商店街や公園などで、事前にロケハンを行い、当日も実際に歩きながら撮影場所を確認した。

撮影は、思っていたよりずっと難しかった

MV制作というと、出演者や完成した映像に注目されることが多い。しかし実際には、その何倍もの時間を使って「どこで撮るか」「どの角度で撮るか」「どの時間帯なら曲の雰囲気に合うか」といった細かな準備が行われていた。

私は出演者として参加しただけではなく、曲のイメージを共有したり、撮影場所について意見を出したり、その場で気づいたことを伝えたりしながら作品づくりに関わった。映像制作の経験はなかったため、最初は「自分にできることはあるのだろうか」という不安もあった。

実際に撮影が始まると、予定どおりに進むことはほとんどなかった。商店街では人通りが多く、撮影を一度止めることもあったし、公園では思っていた構図にならず、立ち位置を何度も変更した。

それでも誰一人として焦った様子はなく、「じゃあ別の場所を見てみよう」「この角度ならどうだろう」と自然に次の案が出てくる。そのやり取りを見ていて、一人が全部を考えているわけではないことに気づいた。

兄が全体の方向性を考え、カメラを担当する方が映像としてどう見えるかを提案し、周りの人が「それなら照明はこうしよう」「少し待てば人通りが減るかもしれない」と意見を重ねていく。それぞれが違う役割を持ちながら、一つの作品を完成させようとしていた。

私は最初、「分からないことが多いから、あまり発言しないほうがいいかな」と思っていた。しかし兄から「気になったことがあれば遠慮しなくていいよ。曲を一番知っているのは自分たちなんだから」と言われ、その言葉に背中を押された。

そこで思い切って、「この場面は歩くスピードを少しゆっくりにしたほうが曲の雰囲気に合う気がする」と伝えてみた。するとスタッフの方が「じゃあ一回試してみよう」とすぐに撮影してくださった。

完成した映像をその場で確認すると、自分がイメージしていた空気感に近づいていた。たった一つの意見だったかもしれないが、それが作品の一部になったことがとても嬉しかった。

もちろん、自分の意見が採用されないこともあった。「この構図もいいけれど、今回は曲の世界観を考えると別のほうが合うね」と説明してもらったこともある。

最初は少し残念な気持ちもあったが、理由を聞くと納得できた。ただ意見を否定されたのではなく、「もっと良い作品にするため」の話し合いだったからだ。

この経験から、自分の考えを伝えることと、それを受け止めてもらうことは別だということを学んだ。大切なのは、自分の意見が採用されることではなく、全員でより良いものを目指して話し合うことなのだと思うようになった。

撮影が終わる頃には、朝とは違う景色が見えていた。

完成したMVは数分しかない。それなのに、その数分のために何時間も歩き、何度も撮り直し、全員が細かな部分までこだわっていた。

私はそれまで、MVや映画を見ると出演者ばかりに目がいっていた。しかし今回現場を経験して、作品を支えているのは出演者だけではないことを知った。

カメラを持つ人、機材を運ぶ人、スケジュールを考える人、その場で周囲に配慮する人。一見目立たない役割にも、一つひとつ意味があった。

その姿を見て、「社会も同じなのかもしれない」と感じた。

一人では思いつかなかったを、みんなで形にする

私たちが普段当たり前に利用しているサービスや、何気なく見ている映像も、多くの人がそれぞれの役割を果たしているからこそ成り立っている。

普段は完成したものしか目にしないから気づかない。でも、その裏側には、目立たない場所で支えている人が必ずいるのだと実感した。

今回の活動を通して、私は「共創」という言葉の意味を、自分なりに少し理解できた気がする。

以前の私は、「協力する」ということは、お互いに同じ考えを持ち、同じ方向を向いて進むことだと思っていた。しかし、実際の撮影現場ではそうではなかった。

撮影の進め方について意見が分かれることもあったし、「もう十分撮れたのではないか」と思う場面でも、「あと一回だけ試してみよう」という声が上がることもあった。最初は「そこまでやる必要があるのか」と思うこともあったが、完成した映像を見ると、その少しの違いが作品全体の印象を大きく変えていた。

私はそのときに、「共創」とは全員が同じ意見になることではなく、それぞれ違う考えや得意なことを持った人たちが、一つの目標に向かって力を合わせることなのだと感じた。

自分から言ってみることで変わったこと

また、自分自身についても新しい発見があった。

私はもともと、自分から積極的に発言するタイプではない。間違っていたらどうしよう、場の流れを止めてしまったらどうしよう、と考えてしまうことが多い。

今回も最初は同じだった。しかし、周りの人たちが「思ったことは言っていいよ」「やってみよう」と自然に声をかけてくれたことで、少しずつ自分の考えを伝えられるようになった。

その経験を通して気づいたのは、私は「一人で頑張ること」よりも、「安心して意見を言える環境」があると力を発揮しやすいということだった。そして、自分も誰かが発言しやすい雰囲気をつくれる人になりたいと思うようになった。

完成した㎹の裏側にあったもの

撮影が終わってみると、一番印象に残っていたのはカメラの前で演じていた時間ではなかった。

ロケハンをしながら「ここもいいね」と話していた時間や、機材を運びながら次の撮影場所を相談していた時間、撮った映像を全員で確認し、「もっと良くできそう」と笑いながら話し合っていた時間のほうが、今では強く記憶に残っている。

作品は、撮影している瞬間だけで作られるものではない。準備をする時間も、迷う時間も、話し合う時間も、すべて作品の一部だったのだと思う。

一緒に作ることは、特別なことじゃない

今回の経験を通して、社会について考えることもあった。

私たちは普段、完成した映像や商品、サービスを見ることはあっても、その裏側でどれだけ多くの人が関わっているのかを意識する機会はあまりない。しかし実際には、一つの作品にも、それぞれ違う立場や役割を持った人が関わり、お互いを支えながら形にしている。

これは映像制作だけではなく、さまざまな仕事にも共通しているのではないかと思う。誰か一人の力だけで社会は成り立っているわけではなく、多くの人が目立たないところで支えているからこそ、私たちは普段の生活を送ることができている。

もちろん、今回一度の経験だけで「社会とはこういうものだ」と言い切ることはできない。それでも、実際に現場へ行き、人と関わり、一緒に作品をつくったからこそ見えてきた景色があった。

以前の私は、完成したMVを見て「かっこいい」「きれいだな」と思うだけだった。でも今は、「この数分の映像のために、どれだけの人が時間をかけ、試行錯誤を重ねたのだろう」と自然に考えるようになった。

それだけでも、この経験は私にとって大きな学びだったと思う。

最後に、このブログを読んでくださった方に伝えたいことがある。

何かを一緒につくるという経験は、特別な仕事や大きなプロジェクトだけにあるものではない。学校のグループワークでも、アルバイトでも、部活動でも、家族との時間でも、「誰かと一緒につくる」場面は意外と身近にある。

そのとき、自分の役割が目立つかどうかはあまり関係ない。誰かの意見を聞くこと、準備を手伝うこと、一言声をかけることも、立派な「共創」の一部なのだと思う。

今回のMV制作を通して、私は作品づくりだけではなく、人と協力することの面白さや難しさ、そして一人では見えなかった景色を知ることができた。

もしこれから誰かと一つのものをつくる機会があれば、「自分は何ができるだろう」と考えながら関わってみてほしい。

その経験は、完成した作品以上に、自分自身の考え方を変えてくれるかもしれない。

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